すべてはうまくいくようにできている

インドにジャナカ王という王様、アシュタバクラという家臣がいました。アシュタバクラは、王様が何かを尋ねると必ず「全ては最高の出来事でございます」と答えるため、王様はアシュタバクラを大変気に入っていました。

 

ある日、王様は怪我を負います。アシュタバクラは、王様が怪我をしたことに対しても「全ては最高の出来事でございます」と答えたため、王様は怒ってアシュタバクラを牢屋に閉じ込めてしまいました。そのあと王様は森へ狩りに出かけましたが、人食い族に捕えられてしまったのです。人食い族は王様を生贄にしようとしました。

しかしその時、王様の怪我を見つけた人食い族は、「傷ものは生贄にできない」と言って王様を解放しました。

 

城に戻った王様はアシュタバクラに、「怪我をしたことで命拾いをした。怪我は最高の出来事だった。牢屋に入れたことを謝りたい」と言いました。そして、アシュタバクラはこう答えます。

 

「もし私が牢屋に入れられず、王様と共に狩りに行っていたら、怪我をしていなかった私は生贄にされていたことでしょう。牢屋に入れられていたことは、最高の出来事でした」

 

望まないことが差し出されたとき、私たちは「悪いことが起こった」と捉えてしまいがちです。しかし、目の前の世界に起こることは、全てに意味があります。一見、最悪に感じられることに遭遇したとしても、それはその先の大きな喜びにつながっている過程の一つであり、最高の出来事なのかもしれません。

 

先日、プロ・オーケストラのコンサートを聴きに行きました。そのコンサートの宣伝を見つけたとき、「これは絶対に行きたい!」と思いました。いつか指揮する姿を見てみたいと思っていた指揮者が、私の大好きな交響曲を振るというのです。早速、音楽の大好きな友達A子を誘ってみました。すぐに「行きたい!」と返事があったため急いでチケットを申し込んで、当日を心から楽しみにしていました。

 

しかし数日後、A子から「どうしても仕事で都合がつかなくなって、コンサートに行けなくなっちゃって…」と連絡が入りました。私はA子と交響曲を聴いて、その感想をぜひシェアしたいと思っていたので、とても残念でした。他に誰か一緒に行く人はいないかと探してみましたが、なかなか現れませんでした。コンサートの2日前、せっかくチケットを取ったのだから1人でも聴きに行こうと心に決め、A子にそのことを伝えました。すると翌日、A子が、一緒に行けるという他の友達B子を見つけてくれたのです。幸いなことに、私は無事に2人で演奏を聴きに行くことができました。

 

当日、A子からメールが届きました。なんと、その日にインフルエンザにかかってしまったというのです。彼女はコンサートに行けなくなったばかりか、仕事も休まざるをえなくなりました。

 

私は、ここで納得しました。もしA子が仕事ではなくコンサートを選んでいたら、インフルエンザのため当日キャンセルすることになり、私は1人で演奏会場に足を運ぶことになっていたでしょう。前もって彼女が行けないとわかったため、私はもう1人の友達を誘って2人で行くことができたのです。

 

一緒に行ったB子もまた、ちょうどこのようなコンサートを聴きたいと思っていたところだったそうです。しばらく子育てで忙しくなるため、その前に最後の楽しみとして考えていたようです。しかも、この日の指揮者は数日前にテレビ番組に出演していて、B子はその番組を見ていたのです。このタイミングで誘ってもらったことを、とても喜んでくれました。

 

望んでいたものが手に入らなくなったとき、みなさんはどう感じるでしょうか。残念に思ったり、落ち込んだり、時にはその現実を受け入れられなくて怒りに変わることもあるかもしれません。しかし、夜が明ければ朝日が昇り、雨が止めば太陽が顔を出すように、その出来事にも必ず意味があり、その先の新しい世界につながっています。「全ては最高の出来事でございます」と信じることができれば、目の前には、雨上がりの空に架かる虹のような、光に満ちた世界が広がっていくことでしょう。

 

※この記事は、リラヨガインスティテュートHPの「今月の小話」にも掲載されています。

http://www.lilayoga.jp/instructor/kobanashi201402.htm#na12

 

 

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